2008年02月07日

『殉国七士廟』に行ってきました.

愛知県の三河湾を望む,『三ヶ根山スカイライン』という
有料道路があります.



三ヶ根山スカイラインの途中に,『殉国七士廟』という,
お墓があります.

これは,第2次大戦の戦後処理の時,極東軍事裁判(東京裁判)で,
“A級戦犯”として,処刑された七人の遺骨が納められた
お墓です.

IMG_7580.JPG


近くの石碑には,遺骨をめぐる壮絶なドラマが刻まれて
いました.

IMG_7584.JPG

*クリックして拡大


隣の敷地には,戦争で亡くなった英霊達の慰霊碑がいくつも
建立されていました.

IMG_7595.JPG



それぞれの碑を読むと,本当に心が打たれます.

太平洋に没していた米軍爆撃機 B-29 のエンジンも
展示されていました.


IMG_7547.JPG


今の日本は,彼らの犠牲の上に成り立っていることを,
忘れてはならないと,すごく感じました.


機会があったら,ぜひ行ってみて欲しいですね.


<参考サイト>

・愛知県道路公社:三ヶ根山スカイライン


・Wikipedia:A級戦犯


・Wikipedia:東条英機

遺骨と神道での祭祀”の項に,遺骨のことが詳しく
記述されています.


posted by Ojiron at 23:37| Comment(1) | TrackBack(0) | 日本の誇り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月04日

自衛隊海外支援奮闘記-2

『国際派日本人養成講座』より

『気は優しくて力持ち 〜自衛隊海外支援奮闘記』

( http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/108687377.html )



日本は湾岸戦争で130億ドルもの拠出をしたが、金だけ出して
血も汗も流さない姿勢は、国際社会で冷ややかに見られていた。

現地の在留邦人も肩身の狭い思いをしていた。

ところが、日の丸を掲げた掃海部隊がやってくるや、アラブ諸国は
歓呼して迎え、在留邦人の子どもたちも他国の子どもからいじめ
られる事がなくなった、という。


バーレーンでは在留日本人会が歓迎パーティーを開催して、
「アラブの国で働く日本人にとって、皆さんは大きな誇り
である」と挨拶した。


掃海部隊が呉市の基地に帰還した際には、クウェートのアル
シャリク駐日大使は呉まで出迎えて、こう述べた。


『機雷掃海の任務を終え、帰国されたことに感謝します。
初めて日本が海外に自衛隊を送ったことの意味は、湾岸各国
だけでなく全世界が高く評価すると思います。』


---------------------------------------------------------------

日本人の誇りとして,国際的に貢献していることを,
我々は,きちんと知っておかなくてはなりません.

左翼マスコミの歪曲された報道ではなく,世界の視線に
沿った,正しい見識を持つべきでしょう.



posted by Ojiron at 02:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の誇り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月24日

自衛隊海外支援奮闘記 - 1

国際派日本人養成講座>より
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogindex.htm


平成3(1991)年、湾岸戦争時にイラクがペルシャ湾に敷設し
た機雷を除去するために、海上自衛隊の掃海部隊が派遣された。

ペルシャ湾沿岸で採掘された原油は、巨大なタンカーで日本を
含め世界各国に運ばれる。
そこに敷設された機雷は、世界へのエネルギー供給を脅かす
存在であった。


指揮官だった落合元海将補(当時、一等海佐)は、こう語っ
ている。

 とにかくアジア各国は我々掃海部隊を大歓迎で迎えてく
れましたよ。最初の寄港地フィリピンでもそうでしたし、
またシンガポールでは軍の最高司令官から「東洋・アジア
を代表してどうか頑張ってきてください。よろしくお願い
します。そのための支援ならなんでもしますので遠慮なく
言ってください」とまで言われたのです。

またペナンでも、スリランカでも、そしてパキスタンでも
同様の大歓迎を受けました。


 ところが、日本からFAXで送られてくる新聞記事に我
々は目を疑いました。当時日本のマスコミが報じていたの
は、我々が体験し、目の当たりにしているアジア各国の大
歓迎ぶりとはまるで異なる「アジア各国の不安や対日警戒」
なる虚構でした。結局、彼らはありもしないことを捏造し
て国内で報道していたわけです。我々は船上でこの事実を
知って、怒りを禁じ得ませんでした。

 当時、日本の一部マスコミは、自衛隊の海外派遣は「アジア
各国の不安や対日警戒」を引き起こす、という理由で反対して
いたのだから、こうした「不都合な真実」をありのままに報道
するわけにはいかなかったのだろう。


------------------------------------------------------------

ここにも,マスコミの歪曲,捏造のせいで,事実が隠蔽
されています.

日本の誇りとして,日本人全員が,こういった地道な活動を
支援していかなければならないのに,本当に怒りを覚えます.


自衛隊のみなさん,感謝です.

posted by Ojiron at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の誇り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月25日

「コロネル シバ」


「マスコミが伝えない親日の話」より

http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/index.html



ちょうど100年前の1902(明治35)年1月30日、日英
同盟が成立した。同盟締結を推進したのは、駐日公使マグドナ
ルドであった。マグドナルドは前年夏の賜暇休暇にロンドンに
帰るとソールズベリー首相と何度も会見し、7月15日には日
本公使館に林菫公使を訪ねて、日英同盟の構想を述べ、日本側
の意向を打診した。マグドナルドは翌日も林公使を訪問して、
イギリス側の熱意を示した。それからわずか半年後には異例の
スピードで同盟締結の運びとなった。

 イギリスが日本と結んだのは、ロシアの極東進出を防ぐとい
う点で利害が一致したからである。しかし、当時の超大国イギ
リスがその長年の伝統である「光栄ある孤立」政策をわずか半
年で一大転換し、なおかつその相手がアジアの非白人小国・日
本であるとは、いかにも思い切った決断である。その背景には
マグドナルド公使自身が一年前に経験した一大事件があった。

 1985(明治28)年、日清戦争に敗北して、清国が「眠れる
獅子」ではなく「眠れる豚」であることを露呈するや否や、列
強は飢えた狼のようにその肉に食らいついていった。三国干渉
により日本に遼東半島を返還させると、それをロシアがとりあ
げ、同時にドイツは膠州湾と青島、フランスは広州湾をむしり
とる。イギリスは日本が日清戦争後にまだ保障占領していた威
海衛を受け取り、さらにフランスとの均衡のためと主張して香
港島対岸の九龍をとった。

 こうした情況に民衆の不満は高まり、義和団と称する拳法の
結社があらわれた。呪文を念じて拳を行えば、刀槍によっても
傷つくことはない、と信じ、「扶清滅洋(清国を助け、西洋を
滅ぼせ)」をスローガンとして、外国人やシナ人キリスト教徒
を襲うようになっていった。

 5月28日、義和団の暴徒が北京南西8キロにある張辛店駅
を襲って、火を放ち、電信設備を破壊した。北京在住の列強外
交団は、清国政府に暴徒鎮圧の要求を出す一方、天津の外港に
停泊する列国の軍艦から、混成の海軍陸戦隊400名あまりを
北京に呼び寄せた。日本も軍艦愛宕からの25名の将兵が参加
した。今風に言えば多国籍軍である。

 6月4日、北京?天津間の鉄道が、義和団によって破壊され
た。北京の外交団は万一の場合の脱出路を奪われた形となった。
すぐに2千の第2次混成部隊が出発したが、鉄道の修復に時間
がかかり、いつ北京にたどり着けるか、分からない状態だった。

 北京の公使館地域は東西約9百メートル、南北約8百メート
ルの方形であり、ここに欧米10カ国と日本の公使館があった。
6月7日、各国の公使館付き武官と陸戦隊の指揮官がイギリス
公使館に集まって、具体的な防衛計画が話し合われた。

 日本の代表は、この4月に赴任したばかりの柴五郎中佐であ
った。柴は英仏語に堪能で、また地域の詳細な防御計画も持参
していたが、始めのうちは各国代表の議論を黙って聴いていた。
日本の兵力が少ないこともあったが、まずは各国の人物、能力
を見極めようという腹だった。さらに東洋人がいきなり議論を
リードしては欧米人の反発を招くということも十分に心得てい
た。

 柴は会議の流れを掴むと、目立たない形で、自分の計画に合
う意見については「セ・シ・ボン(結構ですな)」と賛意を示
し、また防御計画の要については、ちょっとヒントを与えると、
別の列席者がさも自分の発案であるかのように提案する、とい
う形で、巧みに議論を誘導して、自分の案に近い結論に持って
いった。
 6月11日、日本公使館の杉山書記生が惨殺された。救援部
隊が来ないかと北京城外に出て、戻ろうとした所を清国の警備
部隊に捕まり、心臓を抉り抜かれ、その心臓は部隊長に献上さ
れた。外交団は治安維持の頼みとしていた清国官憲までも外国
人襲撃に加わったことに衝撃を受けた。

 13日、公使館区域に4,5百人の義和団が襲いかかった。
おおぜいたむろしている清国官兵は、見て見ぬふりをしている。
しかし刀や槍を振り回す暴徒は、列国将兵の銃撃に撃退された。
14日、怒った暴徒は、公使館区域に隣接するシナ人キリスト
教民の地域を襲った。凄まじい男たちの怒号と、女子どもの悲
鳴が公使館区域まで聞こえてきた。一晩で惨殺された教民は千
人を数えた。

 15日、タイムズの特派員G・モリソンはイギリス公使マグ
ドナルドを説き、20名の英兵を率いて5百人余りの教民を救
出してきた。しかし、それだけの人数を収容する場所がない。
困ったモリソンが、シナ事情に詳しそうな柴中佐に相談すると、
柴は即座に公使館地域の中央北側にある5千坪もの粛親王府を
提案した。粛親王は開明派で、日本の近代化政策を評価してい
た。柴が事情を話してかけあうと、教民収容を快諾した。

 この王府は小高くなっており、ここを奪われれば、公使館地
域全体を見下ろす形で制圧されてしまう。この事に気づいてい
た柴は教民たちを動員して保塁を築き始めた。欧米人と違って、
日本人の多くはシナ語を話せたため、彼らは日本兵によくなつ
き、熱心に協力した。また30名ほどの義勇兵も出て、日本軍
と共に自衛に立ち上がった。

 6月19日、シナ政府から24時間以内に外国人全員の北京
退去を命ずる通牒があった。抗議に赴いたドイツ大使は清国兵
にいきなり銃撃され、即死した。

 20日午後からは、地域の警備についていた清国軍が公然と
攻撃を始めた。暴徒とは異なり近代装備を持つ清国軍は大砲ま
で持ち出して、公使館区域を砲撃した。

 最初の2日間の戦いで区域の東北端に位置するオーストリー
とベルギーの公使館が火を放たれて、焼かれた。西正面と北正
面を受け持っていたイギリス兵は、イギリス公使館が西から攻
撃を受けると、そちらに移動してしまった。

 北正面ががらあきとなり、清国軍が侵入するには絶好の隙間
が生じてしまった。少数の日本将兵と教民たちがたてこもる北
辺の粛親王府が破られれば、そこから清国軍は区域全体を見下
ろし、砲撃することができる。清国軍は激しい攻撃を加えてき
た。

 区域全体の総指揮官に推されたイギリス公使マグドナルドは、
粛親王府の守備を固めるために、イタリア、フランス、オース
トリー、ドイツの兵に柴中佐の指揮下に入るよう命じたが、兵
達は土地は広く、建物は迷路のように錯綜する王府を見ると、
「とてもじゃないが守りきれない」とそれぞれ自国の公使団保
護に帰ってしまった。

 王府防衛の有様を柴中佐の指揮下に留まっていたイギリス人
義勇兵の一人B・シンプソンは次のように日記に記した。

 数十人の義勇兵を補佐として持っただけの小勢の日本軍
は、王府の高い壁の守備にあたっていた。その壁はどこま
でも延々とつづき、それを守るには少なくとも5百名の兵
を必要とした。しかし、日本軍は素晴らしい指揮官に恵ま
れていた。公使館付き武官のリュウトナン・コロネル・シ
バ(柴中佐)である。・・・

 この小男は、いつの間にか混乱を秩序へとまとめていた。
彼は部下たちを組織し、さらに大勢の教民たちを召集して、
前線を強化していた。実のところ、彼はなすべきことをす
べてやっていた。ぼくは、自分がすでにこの小男に傾倒し
ていることを感じる

 この後、王府を守る柴中佐以下の奮戦は、8月13日に天津
からの救援軍が北京に着くまで、2ヶ月余り続く。睡眠時間は
3,4時間。大砲で壁に穴をあけて侵入してくる敵兵を撃退す
るという戦いが繰り返し行われた。総指揮官マグドナルド公使
は、最激戦地で戦う柴への信頼を日ごとに増していった。イタ
リア大使館が焼け落ちた後のイタリア将兵27名や、イギリス
人義勇兵を柴の指揮下につけるなど迅速的確な支援を行った。

 6月27日には、夜明けと共に王府に対する熾烈な一斉攻撃
が行われた。多勢の清国兵は惜しみなく弾丸を撃ちかけてくる。
弾薬に乏しい籠城軍は、一発必中で応戦しなければならない。
午後3時頃、ついに大砲で壁に穴を明けて、敵兵が喊声を上げ
ながら北の霊殿に突入してきた。柴は敵兵が充満するのを待っ
てから、内壁にあけておいた銃眼から一斉射撃をした。敵は2
0余の死体を遺棄したまま、入ってきた穴から逃げていった。
この戦果は籠城者の間にたちまち知れ渡って、全軍の志気を大
いに鼓舞した。

 イギリス公使館の書記生ランスロット・ジャイルズは、次の
ように記している。

 王府への攻撃があまりにも激しいので、夜明け前から援
軍が送られた。王府で指揮をとっているのは、日本の柴中
佐である。・・・

 日本兵が最も優秀であることは確かだし、ここにいる士
官の中では柴中佐が最優秀と見なされている。日本兵の勇
気と大胆さは驚くべきものだ。わがイギリス水兵がこれに
つづく。しかし日本兵がずば抜けて一番だと思う。
 王府を守りながらも、柴中佐と日本の将兵は他の戦線でも頼
りにされるようになっていった。アメリカが守っている保塁が
激しい砲撃を受けた時、応援にかけつけたドイツ、イギリス兵
との間で、いっそ突撃して大砲を奪ってはどうか、という作戦
が提案され、激しい議論になった。そこで柴中佐の意見を聞こ
うということになり、呼び出された柴が、成功の公算はあるが、
今は我が方の犠牲を最小にすべき時と判断を下すと、もめてい
た軍議はすぐにまとまった。

 イギリス公使館の正面の壁に穴があけられ、数百の清国兵が
乱入した時は、柴中佐は安藤大尉以下8名を救援に向かわせた。
最も広壮なイギリス公使館には各国の婦女子や負傷者が収容さ
れていたのである。

 安藤大尉は、サーベルを振りかざして清国兵に斬りかかり、
たちまち数名を切り伏せた。つづく日本兵も次々に敵兵を突き
刺すと、清国兵は浮き足立ち、われさきにと壁の外に逃げ出し
た。館内の敵を一掃すると、今度はイギリス兵が出撃して、3
0余名の敵を倒した。安藤大尉らの奮戦は、イギリス公使館に
避難していた人々の目の前で行われたため、日本兵の勇敢さは
讃歎の的となり、のちのちまで一同の語りぐさとなった。

 後に体験者の日記を発掘して「北京籠城」という本をまとめ
上げたピーター・フレミングは本の中でこう記述している。

 戦略上の最重要地点である王府では、日本兵が守備のバ
ックボーンであり、頭脳であった。・・・ 日本軍を指揮
した柴中佐は、籠城中のどの士官よりも勇敢で経験もあっ
たばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。

 当時、日本人とつきあう欧米人はほとんどいなかったが、
この籠城をつうじてそれが変わった。日本人の姿が模範生
として、みなの目に映るようになった。

 日本人の勇気、信頼性、そして明朗さは、籠城者一同の
賞賛の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接
的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本
人だけである。

 救援の連合軍が、清国軍や義和団と戦いながら、ついに北京
にたどりついたのは、8月13日のことだった。総勢1万6千
の半ばを日本から駆けつけた第5師団が占めていた。その他、
ロシア3千、英米が各2千、フランス8百などである。籠城し
ていた柴中佐以下は、ほとんど弾薬も尽きた状態だった。

 14日、西太后の一行は西安に向けて脱出した。その午後、
北京入城後最初の列国指揮官会議が開かれた。冒頭マグドナル
ド公使が、籠城の経過について報告した。武器、食糧の窮迫、
守兵の不足、将兵の勇敢さと不屈の意志、不眠不休の戦い、そ
して公使は最後にこう付け加えた。

 北京籠城の功績の半ばは、とくに勇敢な日本将兵に帰す
べきものである。

 柴中佐が日本軍将兵と日本人義勇兵にこの言葉を伝えると、
嗚咽の声が漏れた。誰もが祖国の名誉を守り、欧米の人々から
も認められた誇らしい感情を味わっていた。

 柴中佐はその後も日本軍占領地域では連合軍兵士による略奪
を一切許さず、その治安の良さは市民の間のみならず、連合軍
の間でも評判となった。

 柴中佐には欧米各国からも勲章授与が相継ぎ、またタイムズ
の記者モリソンの報道もあいまってコロネル・シバは欧米で広
く知られる最初の日本人となった。その後、総指揮官を務めた
マグドナルドは駐日大使に転じ、日英同盟の締結を強力に押し
進めていくことになる。柴中佐と日本将兵の見せた奮戦ぶりか
ら、日本こそは大英帝国が頼みにするに足る国と確信したので
あろう。
posted by Ojiron at 14:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の誇り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月03日

純粋に,日本って国はすごいと思う

昔,世界史の教科書とか,資料集の最後の方についてきた
世界年表です.↓

a7b61293.jpg*クリックして拡大



縦軸が,世界の地域,横軸が年代になっています.

紀元前1500年ごろから,国としてあったエジプトとかも,
すごいことです.

ローマ帝国とか,オスマントルコとか,世界の広範囲を長期間に
渡って,支配していたことも興味深いですね.

中国は,ものすごい勢いで,国が変わっています.
長くても300年くらいでしょうか.

でも,一番すごいのは,『日本』ではないでしょうか.

図の一番下です.『日本』はずっと『日本』のまま.

世界中,どこを探してもここまで長く続いた地域は
他にありません.

これは,やっぱり誇りに思っていいと思いますね.



ソース:mumurブログさん 日本すげええええええ!!!!!!!
posted by Ojiron at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の誇り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月23日

サッカーの日本サポーターについて

2002年,日韓W杯の時の,日本サポーターの
心温まるエピソードを紹介します.



フーリガン不発、温かく迎えられ騒げず(日刊スポーツ)

 「一人の逮捕者も出さなかった」。3日付の英各紙はW杯のイングランド
第1戦が行われた 埼玉スタジアムでフーリガン(暴力的なファン)が
現れなかったことを大きく伝えた。

 ミラー紙は、スタジアムの日本人のうち少なくとも3万人がイングランド
を熱狂的に応援したと 伝え、約5000人の英国人ファンは彼らのイング
ランドへの「崇拝にも似た傾倒ぶり」に圧倒され、友好的に振る舞うしか
なかったと分析。

 サン紙も、ベッカムの人気もあったが、日本人にここまで温かく迎えられ
ては騒ぎようがない、 という調子だ。

 インディペンデント紙は、規則をきちんと守らせる点で日本を上回る国は
ないと伝えた。


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読売新聞 2002/06/11 掲載記事

【ロンドン10日=土生修一】辛口で定評のある英国メディアが、W杯での
日本人の対応を手放しで褒めちぎっている。

「日本人の品行の良さには驚いた。こっちも影響され、野外パーティーが
終わると自分から掃除していた。こんなことは初めて。今まで、なんて自分
勝手な国に住んでいたんだろう」。


9日付の英高級紙サンデー・テレグラフは、W杯観戦で来日した英国の若者
のコメントを紹介、「日本体験が英国人に集団治療のような効果を発揮して
いる」と報じた。

「3万人以上の日本人が英国国歌を歌ってわがチームを熱狂的に応援した。
顔中、イングランド旗にした日本人もいる。私の頭がおかしくなったのでは
ない。これは本当なんだ」(大衆紙デイリー・ミラー)


日本人は、他の外国チームにも好意的だとする論調も目立つ。

「カメルーン戦は劇的な引き分け。仕事を終え午前2時に宿舎に戻ると、
従業員たちが屋外で拍手で迎えてくれ、大感激した」(アイルランド記者)、

「日本と同じグループなのに、どこへ行っても応援してくれる。信じられ
ない」(ベルギー選手)


英各紙は、この全方位外交が各国のサポーターにも影響し、対戦チームの
サポーター同士が記念撮影したり、談笑するなど、欧州では考えられない
光景が各地で見られ、フーリガンが出る幕はないとの特派員記事を掲載。

経済紙フィナンシャル・タイムズも、「日本人は、憎しみなき熱狂で、
W杯をより豊かにしてくれた」と最大級の賛辞を送っている。

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サッカーのサポーターは,万国共通で熱狂的ですが,
日本のサポーターの振る舞いは,海外からは好意的に
受け止められたようです.


ちょっとミーハー的なこともあるでしょうが,
日本が褒められるのは,ウレシイことですね.

posted by Ojiron at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の誇り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月29日

湾岸戦争時の掃海艦派遣 エピソード

■掃海艦派遣
パート1・15 :バーチャバカ一代 ◆3iCOYKds :02/02/24 22:32 ID:tQ6+jATg


2月末に戦争が終わると、アメリカはペルシャ湾の機雷の掃海艇の
派遣を正式に日本に要求してきた。

ペルシャ湾に出入りする船は日本船か、日本が借りた船の数が圧倒的に多く、
また自衛隊の掃海技術は国際的な定評があった。

本来なら日本側が進んで掃海艇派遣を買って出てもおかしくない所である。

しかし、社会、公明両党など野党側は「自衛隊の海外派兵につながる」と
強く反対した。

掃海艇派遣の決定をするのに1ヶ月以上を要し、さらに掃海作業に最も
威力のあるヘリコプターを積んでいく事を禁止された。


第一掃海艇群6隻が出発したのは4月26日。

わずか400トンの掃海艇群は、速度が遅く、35日から40日も
かけてインド洋を渡った。

しかしドバイの人々は日の丸を振って、掃海艇群を歓迎し、現地の
日本企業の売り上げは倍増したという。


その後、酷暑のペルシャ湾で、掃海艇群は一触即発の機雷に接近して、
死と隣り合わせの処分作業を続け、計34発の機雷を爆破処理した。

航路の安全を確保した後、呉市の基地に無事帰還したのは10月30日
だった。

広島県クウェートのアルシャリク駐日大使は呉まで出迎えて、こう述べた。


『機雷掃海の任務を終え、帰国されたことに感謝します。
初めて日本が海外に自衛隊を送ったことの意味は、
湾岸各国だけでなく全世界が高く評価すると
思います。



 130億ドルの拠出と在日米軍基地の提供とで、わが国は湾岸戦争の
最大の貢献国だったのに、"too little, too late(少なすぎ、遅すぎ)と
酷評され、罵倒された。

しかし130億ドルの千分の1の費用で行われたこの掃海作業への感謝は
心のこもったものだった。

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「日本の掃海技術は世界一」という話は,湾岸戦争当時から,
マスコミでもよく報道されて,知っていました.

戦地に軍隊を送れない「自衛隊」だからこそ,戦後の処理を
真っ先に貢献するべきだったのでしょう.

訳のわからない「社会党」や「公明党」の主張は,今だったら,
一蹴されそうですが,当時はまだ“戦争アレルギー”だった
んだと思います.

やっぱり,こういった地道な活動こそ,「日本の誇り」であり,
日本人全員が知っておかなきゃいけないことなんでしょうね.


posted by Ojiron at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の誇り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月17日

7か国で世論調査:アジアで高まる日本への期待

[7か国世論調査]「アジアで高まる日本への期待」
2006年9月14日付・読売社説(2)


 東南アジアやインドでは、台頭する中国への関心が強まる一方で、
日本への信頼度や期待感も確実に高まっている――。

 読売新聞社が韓国日報社、ギャラップ・グループと共同で行った
「アジア7か国世論調査」の結果は、日本の底力を映し出す興味深い
内容となった。

 調査は日韓両国に加えインドネシア、マレーシア、タイ、ベトナム、
インドで行われた。
アジアの複数国での同時世論調査は1995年、96年に続き3回目、
10年ぶりとなる。

 過去10年の最大の変化である中国の台頭ぶりは世論調査にも鮮明に
表れた。

 中国に「良い印象」を持つ人はマレーシア、タイ、インドネシアで
8割を超えた。

「中国の発展が自国経済に与える影響」では、日韓を除くすべての国で
「プラス」と見る人が多数を占めた。
政治、経済の両面で中国との関係強化が進んでいる証しだろう。

 将来の中国の影響力拡大も、自明と受け止められつつある。
「今後、経済力も含めて、アジア地域に最も影響力を持つ国や地域」では、
マレーシア、タイ、ベトナムなどが中国を筆頭にあげた。

 「中国の台頭」と対の形で「日本の退潮」が指摘されるようになって
久しい。今回の調査では、日本人の6割が「日本のアジアでの影響力は
弱まっている」と自己診断を下した。

 ところが、今回の世論調査で明らかになったのは、「退潮」ではなく、
日本のアジア外交の基盤の厚さである。

 日本の影響力については、日本を除き「強まっている」が多数を占めた。

「日本がアジアの一員として積極的な役割を果たしている」
との評価も、「大いに」「多少は」を合わせると、東南アジア各国は
ほぼ9割に達し、96年調査より6〜18ポイント増えた。
インドも8割に達した。


 日本への信頼度も、韓国を除く各国で「信頼できる」が、高率で並んだ。

 国家建設や経済発展への協力といった日本が長年積み重ねてきた努力が、
この地域の親日感情の土壌になっている、との認識が定着しつつある。

 さらに、中国の台頭によって、経済を軸に密接な関係を築いてきた
日本の役割の大きさや重要さを、各国が再認識する動きも出ている。

 低い自己評価とは逆である。経済以外にも、テロや海賊対策、
災害救助や感染症問題など、日本のリーダーシップに期待する分野は
広がっている。

 日本が積極的なアジア外交を展開する下地は、整いつつある。
それを裏付けたのが今回の世論調査である。

-----------------------------------------------------

非常に勇気付けられるアンケート結果です.

中国の脅威は,日本人ならば常に感じていることですが,
第3者である国からみれば,日本こそ信頼されていて,リーダー
シップを望まれているんですね.


<関連サイト>

・mumurブログ:読売新聞調査 「韓国以外の国で日本に対する信頼度が高い」


・★厳選!韓国情報:■読売新聞社、韓国日報社、ギャラップグループによる「アジア7ヶ国世論調査」


・★厳選!韓国情報:先進国の人々はウリナラより日本や台湾のことが好きみたいニダ!

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