2008年03月24日

大東亜戦争とマレー人


大東亜戦争とマレー人

http://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/page046.html


イスマイル・ビン・ラザク氏 
1927年マレーシア ペナン生まれ 78歳
荷役会社を元経営 現在もペナン在中 一女の父

日本語タイ語を理解する イスラム教徒マレー人である。



 ― 1941年12月8日に大東亜戦争が開始され、パールハーバー攻撃
とともに英領マラヤのコタバルに日本軍が上陸しましたが、
その当時、マレーの人はどのような気持ちを持っていましたか。
 


イスマイル 
 ― 当時はマレーシアという国ではなく、イギリスの植民地で
マラヤと言っていました。
マレー人とイギリス人はうまくいっていませんでした。
イギリス人はマレー人を押さえつけて、国の仕事にはもちろん
マレー人は就けない、マレー人が働いても僅かなお金しか
貰えなかった。
教育も受けられない。マレー人に力はなかったのです。
一人の人間として認められることはなかった。
人間らしい生活はなかったのです。
いつの日にか自分たちの国にしようという思いはマレー人に
ありました。




 ― 日本軍がコタバルに上陸したときどのように思いましたか。

イスマイル
 ― 当時は今と違ってすぐに情報は伝わりません。
ラジオもない、イギリスの新聞はあったがよくわからない。
状況は人から人と口伝えで伝わってきたのです。
イギリス軍を撃破して進む日本軍に私たちは歓喜しました。
日本人が我々マレー人をたすけに来た。
ほんとうに嬉しかった。
マレー人は日本軍を歓呼して迎え入れて協力したのです。




 ― それはイスマイルさんの気持ちですか。

イスマイル
 ― 私だけでなく、当時のマレー人の気持ちです。




 ― 日本軍は誰と戦い、誰が死にましたか。

イスマイル
 ― マラヤにはあと中国人がいました。これは町で商売など
やっていましたが、日本軍が来るとジャングルに逃げて
日本軍と戦いました。ですから中国人は死んだでしょう。
しかしマレー人は死んでいません。




 ― 「プリンスオブウエールズ」 「レパルス」の撃沈を
知っていますか。

イスマイル
 ― 人伝えで知って、その後新聞に出ました。みんな喜びましたよ。




 ― ペナンに日本軍が来た時の状況を教えてください。

イスマイル
 ― 当時私は15歳でした。
ペナンにはイギリス軍がいましたがある日、日本軍の飛行機が
偵察に来て、その後20機が爆弾を落としていった。
これはイギリス軍の基地だけ攻撃した。
その様子を目の前にして、見て私たちマレー人は感動しました。
私たちはイギリス人に蔑まれ虐められていたのですから。
お前らはバカだ、人間じゃあないと。
ほんとうに日本軍に感謝しました。




 ― その後ペナンに日本軍が進駐しましたが、マレー人を
差別したり虐めたりしたことはありましたか。

イスマイル
 ― まったくありません。
日本軍は私たちに学校教育をうけさせてくれた。
日本軍の先生がマレー語で教えてくれました。
仕事もできるようになり、給料もちゃんと払ってくれた。
イギリスがいたときとは全然違います。
イギリスは私たちに教育や仕事をやらせなかった。
日本人はマレーをマレー人に任せるようにしたのです。
その時のマレーと日本の約束は「お互いに協力していこう」と
いうことでした。
マレーは良くなったのです。中国人はジャングルに逃げたままでした。




 ― その後イスマイルさんはどうされましたか。

イスマイル
 ― 17歳で日本海軍に入りました。募集していてテストを
受けたのです。
人気がありました。競争率も高かったはずです。
そしてSYOUNANTOU(シンガポール)に行きましたが、この
ペナンでは25人の青年が行きました。
マレー全体13の州から何人でしょう、人数は正確ではありませんが
300人くらいはいたでしょうか。
SYOUNANTOUにはマレーの青年のほかに、インドネシアの16歳、
17歳の優秀な青年もたくさんきていました。




 ― 日本海軍ではどんな職種でしたか。

イスマイル
 ― 英語の無線を傍受して日本語にする仕事です。
潜水艦にも乗りましたし軍艦にも乗りました。
インドネシアの方までいきましたよ。
給料は一月300円でしたが、日本軍人と比べても十分なお金でした。
食べ物も十分ありました。マレー人と日本人との間に
問題はありませんでした。
偉い人の名前はニシハラさんです。




 ― 1945年8月15日にDAITOUASENSOUが日本が負けて
終わりますが、ペナンではどんな状況でしたか。

イスマイル
 ― ちゃんと発表しました。給料はもう払えません。
ここにあるものは皆さんで使ってくださいと。
その後、中国人とイギリス人が戻ってきた。再び来たイギリス人
は以前のような横柄な態度ではなかった。
マレー人は日本人から多くのことを学んだのです。
マレー人も以前のマレー人ではありませんでした。




 ― マラヤでの大東亜戦争を、いまイスマイルさんはどう
思われていますか。

イスマイル
 ― DAITOUASENSOUは感謝しています。DAINIPPONが来なければ今のマレーシアはなかった
でしょう。最大の感謝の気持ちは変わりません。


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戦前,戦中の日本人.
本当にすばらしかったんですね.

「アジアを解放する」という名目だった大東亜戦争.

こじつけだという人もいますが,いえいえ,そんなことは
ありません.

事実,マレーシアという国があるのですから.






posted by Ojiron at 00:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 親日国を知る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私は今でもあなたの臣下です。

サイパンや台湾などの南国では、天皇陛下に対してこんなことを
言う人もいる。

「太平洋戦争がなかったならば、私は今でもあなたの臣下です。」
 

2005年、天皇陛下がサイパンを訪れることを決めた時、
例によってサイパン在住の韓国人が反日・反天皇デモを
行おうとしたことがあったのだが、


その時も
「もし韓国人が天皇陛下に抗議するなら、我々は韓国企業を
ボイコットする」とサイパン住民は“天皇陛下のために”
戦ってくれていた。

(おかげで訪問は実現した。ちなみに天皇陛下は韓国人戦没者の慰霊も行った)


http://wkorea.exblog.jp/1116956/
http://www.abc.net.au/ra/news/stories/s1400138.htm
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いい話ですなァ〜!

日本の植民地統治ってのは,現地の人達の生活レベルを
上げることが主で,搾取なんてとんでもなかったそうです.


こんな昔の日本,誇りに思います.

posted by Ojiron at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 親日国を知る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月28日

【台湾有情】総統府に日本人の軌跡

【台湾有情】総統府に日本人の軌跡

日本から訪れた知人を案内したついでに、一般参観者に
混じって総統府を見学した。

取材で内部まで出入りする機会はあるものの、総統府が
観光客や住民に見せる“表の顔”に触れるのは初めて
だけに、興味があった。

 総統府の裏側にある出入り口では、来訪者はまず金属
探知機で身体検査を受ける。

カメラのほか携帯電話も持ち込みは許されず、自動小銃
を構えた憲兵があたりに、にらみを利かせている。

出迎えてくれた案内役のボランティアは親日的ないわゆる
「日本語世代」で、開口一番、こう言った。


 「日本は台湾を植民地にしていない。
疫病を一掃し、高いレベルの教育環境を整えたのです。
イギリスやフランスの植民地とは違います」


 内部に入って、まず目に飛び込んできたのは、歴代総統を
紹介する大型パネル。

日本の総督19人の顔写真も総統と同じ扱いで掲げられて
いた。

解説に耳を傾ければ、社会基盤整備など日本の政策が台湾
の発展を促した功績として熱く語られる。

 歴史認識では日本に厳しい中国通の知人は押し黙った末に、
別れ際にようやく口を開いた。

「戦後、われわれが自ら封印した日本人の軌跡が台湾では
今なお生きていた。しかも権力の中枢である総統府に…。
北京ではおよそ考えられない」。


 総統府の一般開放は週日の午前9時〜正午。

日本人は旅券が必要です。(長谷川周人)


<ソース>
・産経Web:【台湾有情】総統府に日本人の軌跡
・今日の韓流通信:【台湾有情】総統府に日本人の軌跡



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同じように日本の植民地だった,朝鮮とはえらい違いですな.

日本が『植民地にした』とは言え,当時の欧米の植民地だった
他の地域とは格段にレベルが違いました.

学校を作り,インフラを整備し,莫大な国家予算が投入されました.

韓国は,全くそれを忘れてしまったようですね.
posted by Ojiron at 01:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 親日国を知る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月02日

100年の時を経て果たされた『恩』

<明治串本新聞>
→ニュースソース:enjoykorea



1890年9月16日、オスマン・トルコ帝国の使節団一行を乗せた軍艦が
和歌山県串本・大島沖で遭難。
乗組員650余名中587名の犠牲を出す大惨事となった。


日本が明治維新の諸改革を行っていたころ、オスマン・トルコ帝国でも、
近代化改革や欧米列強への対等な扱いを求めて努力していた。

皇帝アブドル・ハミド二世は視察のため、日本に特派使節を派遣した。
一行はトルコ軍艦エルトゥールル号で1890年6月5日来日、9月15日に
帰途についた。

 しかし、一行は台風に遭遇し、和歌山県串本・大島の樫野埼沖で
遭難した。
650余名の乗組員のうち587名が死亡、生存者69名という大惨事になった。


 エルトゥールル号の遭難現場は惨憺たる状況だった。
第一発見者の灯台守は言う。

「9 月16日の真夜中、服はぼろぼろで裸同然、全身傷だらけの男が
やってきた。海で遭難した外国人であることはすぐにわかった。
『万国信号書』を見せると、彼がトルコ軍艦に乗っていたトルコ人で
あること、また多くの乗組員が海に投げ出されたことがわかった。
救助に向かった村の男たちが岩場の海岸におりると、おびただしい船の
破片と遺体があった。男たちは裸になって、息がある人たちを抱き起こし、
冷え切った体を暖めた」


 助けられた人々は村の寺や小学校に収容され、手厚い介護を受けた。
村では非常食用の鶏など、村にあるすべてのものを提供した。
こうして69名の命は救われたのである。



そして、ページをめくると、



1985 年3月、イランとイラクが戦争をしていたときのことである。

イラクのフセイン大統領は、48時間の猶予ののち、イラン上空を飛ぶ
すべての航空機を無差別に攻撃するとの指令を出した。

さっそく世界各国から、自国の国民を助けるために救援機が出されたが、
日本政府の対応は遅れ、日本企業で働く日本人とその家族がイランに
取り残されてしまった。

彼らはイランのテヘラン空港で、帰国のすべもなくパニック状態に
なっていた。

 タイムリミットを目前にして、2機の飛行機が空港に降り立った。
トルコから日本人救助のために送られてきた救援機だった。
トルコ機は日本人215名を乗せて、イラン上空を脱出しトルコに向かった。


 なぜ、トルコは日本人を救ってくれたのか。元駐日トルコ大使は
こう説明した。

「私たちは、日本人がエルトゥールル号の遭難事故のさいに示してくれた、
献身的な救助活動を忘れていません。
教科書にもその話はのっていて、トルコ人ならだれでもしっています。
だから、困っている日本人を助けるのは、私たちにとって当然のこと
なのです。」

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えー話じゃないですかぁ〜.

100年前の恩返しですよ.
ホント,『トルコ』って国は,すばらしい.

昔の日本では,こういう逸話,結構あるんですね.

僕たちのちょっと前の祖先は,回りまわって,僕たちを
助けてくれています.

そんな誇らしい祖先に対して,恥ずかしくない今の日本を
作っていかなくちゃって思いますね.


<関連サイト>

・wikipedia:エルトゥールル号遭難事件

この事件について,もう少し詳しく知りたい方は,こちらを
見てください.↑




・wikipedia:トルコ航空

ぎりぎりの状態で脱出策が講じられた末に、イラン・イラクの隣国トルコが
航空機の派遣を申し出、2機のトルコ航空機がテヘランへ派遣された。

2機のトルコ航空機が215人の在留邦人を乗せてイラン国境を越えて
トルコ領空に入ったのはタイムリミット直前のことであった。

この事件はのちにエルトゥールル号遭難事件とともにインターネット上の
電子掲示板やメールマガジンを通じて親日国トルコのイメージを広めること
に貢献し、テレビでもTBSのクイズ番組「日立 世界・ふしぎ発見!」、
フジテレビのバラエティ番組「奇跡体験!アンビリバボー」や、
2004年にはNHKのドキュメント番組「プロジェクトX」でも取り上げられた。


また、湾岸戦争勃発1ヶ月前の1990年12月に、当時国会議員だった
アントニオ猪木が自らイラクに赴いて平和を訴えるイベントを行い、
サッダーム・フセイン政権によってイラクからの出国を差し止められ
事実上の人質として抑留されていた在留日本人の解放を果たしたとき、
チャーター便を出してこれを助けたのもトルコ航空であり、
日本との縁は深い。

posted by Ojiron at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 親日国を知る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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